川淵三郎の経歴や年収がすごい?妻や子供(娘)・家族についても!

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こんにちは!MINATOです。

現在、日本トップリーグ連携機構の会長を務めている川淵三郎さんは、元サッカー選手で日本サッカー協会の会長を務めた経歴もあるすごい方です。

今回は、そんな川淵三郎さんについて、

  • 川淵三郎の経歴や年収がすごい?
  • 川淵三郎の妻や子供(娘)・家族は?

に注目して調査してみました。

それでは早速、本題へ入っていきましょう!

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川淵三郎の経歴や年収がすごい?

プロフィール
  • 名前:川淵三郎(かわぶち さぶろう)
  • 愛称:キャプテン、槍のかわぶち
  • 生年月日:1936年12月3日
  • 年齢:82歳(2018年12月時点)
  • 出身地:大阪府高石市
  • 高校:大阪府立三国丘高等学校
  • 大学:早稲田大学第二商学部商学科

経歴

川淵三郎さんは、元プロサッカー選手として活躍されていましたが、中学時代は野球部に所属していたそうです。

中学校を卒業した1952年、大阪府立三国丘高等学校に入学し、高校では野球部ではなくサッカー部に入部しました。

高校卒業した後、2浪して1957年に早稲田大学第二商学部商学科に進学。

大学時代には、早稲田大学ア式蹴球部で活動し、関東大学リーグ優勝を果たします。

これ以降の経歴については、箇条書きで紹介していきますね!

  • 1958年 日本代表に初選出。関東大学リーグ優勝。
  • 1959年 ローマ五輪アジア予選出場。
  • 1960年 第7回チリW杯アジア予選出場。関東大学リーグ優勝。
  • 1961年 3月、早稲田大学第二商学部商学科卒業後、古河電気工業入社。4月、横浜電線製作所勤務。同社サッカー部でプレー。
  • 1962年 インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場。12月、結婚。
  • 1964年 日本代表として東京オリンピック出場、対アルゼンチン戦でゴールを挙げる。

【引退後】

  • 1970年 現役引退(日本代表通算68試合、18得点)。
    古河電気工業サッカー部コーチ就任。
  • 1972年 古河電気工業サッカー部監督就任(1975年退任)。
  • 1976年 日本サッカーリーグ常任運営委員就任(1979年退任)。
    10月、伸銅事業部第1販売部課長。
  • 1980年6月、LA五輪強化部長に就任。
    8月、系列会社「谷商株式会社」の常務取締役に出向。
    11月、日本代表監督代行就任。
  • 1981年 日本代表監督退任。
  • 1982年6月、古河電気工業・名古屋支店金属営業部長。
  • 1984年4月、日本サッカー協会強化部長退任。
  • 1988年6月、古河産業へ出向、取締役伸銅品部長。
    8月、JSL総務主事就任。
    10月、日本サッカー協会理事就任。
  • 1989年6月2日、JFA・プロリーグ委員会委員長就任。
  • 1990年8月、プロリーグ検討委員会委員長就任。
  • 1991年3月、強化委員長、プロリーグ設立準備室長就任。
    11月、社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立、初代チェアマン就任。
    11月、30年勤続した古河電気工業退社。
  • 1993年5月、Jリーグ開幕、国立競技場にて開幕宣言。
  • 1994年5月、日本サッカー協会副会長就任。
    6月、W杯日本招致委員会実行副委員就任。
    10月、強化委員長退任。
  • 1996年7月、2002年W杯開催準備委員会実行副委員長就任。
  • 1997年12月、2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任。
  • 2002年7月、Jリーグチェアマン退任。
    後、日本サッカー協会会長(キャプテン)に就任。
  • 2008年6月、3期6年務めた日本サッカー協会会長を退任、名誉会長に就任。
  • 2010年9月、日本サッカーミュージアム館長に就任。任期は2年。
  • 2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。
  • 2011年6月、東京都教育委員に就任。(2012年11月22日退任)
  • 2012年3月、心の東京革命推進協議会会長に就任。
  • 2012年4月、JFAアカデミー堺スクールマスターに就任。
  • 2012年6月、日本サッカー協会名誉会長を退任し、同最高顧問に就任。
  • 2012年11月、東京都教育委員を退任し、東京都知事選に出馬する猪瀬直樹選挙事務所の選対本部長に就任。
  • 2013年3月、公立大学法人首都大学東京理事長の就任が決まる。任期は、4月1日から4年間。
  • 2015年1月、国際バスケットボール連盟主導で設立された日本バスケットボール協会改革のためのタスクフォース「JAPAN 2024 TASKFORCE」のチェアマンに就任。
  • 2015年4月、一般社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ理事長に就任。
  • 2015年5月、日本バスケットボール協会会長に就任。
  • 2015年5月、日本トップリーグ連携機構会長に就任。
  • 2016年6月、日本バスケットボール協会会長を退任し、エグゼクティブアドバイザーに就任。
  • 2017年3月、公立大学法人首都大学東京理事長を任期満了で退任。
  • 2018年3月、日本サッカー協会最高顧問を退任し、同相談役に就任。

引用元:Wikipedia

箇条書きでズラーっと、川淵三郎さんの経歴を紹介させていただきましたが、現役時代から引退後も物凄く豊富な経歴をお持ちですごいですよね!

現在、日本のスポーツ界をもっと盛り上げて行くために、川淵三郎さんは、

  • Jリーグ
  • Bリーグ
  • なでしこ
  • Vリーグ
  • 女子バスケ
  • ハンド
  • ラグビー
  • アイスホッケー
  • ホッケー
  • 女子ソフト
  • フットサル
  • アメフト

といった、9競技12のトップリーグや、協会の改革に取り組む活動をされています。

年収

日本トップリーグ連携機構の会長を務めているということで、川淵三郎さんの年収が気になったので調べてみました。

しかし、川淵三郎さんの年収は公表されていないので不明なのですが、日本サッカー協会の会長を務めていた時の年収は推定3000万円だと言われています。

現在は、9競技12のトップリーグや協会の改革に取り組む日本トップリーグ連携機構の会長ですので、日本サッカー協会の会長を務めていた時よりも多い収入をもらっていると予想されます。

憶測にはなってしまうのですが、川淵三郎さんは5000万円くらい年収をもらっているのではないでしょうか?

 

川淵三郎の妻や子供(娘)・家族は?

川淵三郎さんは、1962年12月に結婚されていて、妻と娘が2人の4人家族とのことです。

妻と娘さんの名前や年齢などについては分かりませんでしたが、おそらく妻は川淵三郎さんの年齢とそれほど変わらないと思うので、現在80歳くらいなのかなと思われます。

そして、娘さんについても、1962年に川淵三郎さんはご結婚されているので、そう考えると2人の子供も50歳くらいになっているのではないでしょうか?

きっと、孫もいると思うので、もしかしたらお孫さんも成人して結婚しているかもしれませんね。

そしたら、ひ孫もいるのかもしれません。

 

 

まとめ

今回は、

  • 川淵三郎の経歴や年収がすごい?
  • 川淵三郎の妻や子供(娘)・家族は?

に注目して紹介させていただきましたが、いかがだったでしょうか?

本当に、川淵三郎さんは現役時代の時から多く活躍されていますが、引退してから現在まで豊富な経歴をお持ちで本当にすごいなと驚くばかりでした。

それでは今回はこれで以上になります。

最後までお読みいただきありがとうございました!

MINATO

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