こんにちは!MINATOです。
1998年にオーストラリアのウィーンに母子で暮らす、当時10歳の少女だったナターシャ・カンプシュさんが誘拐され、8年間の監禁生活から2006年に解放されたという「10歳少女誘拐事件」。
8年にも及ぶ監禁生活から解放されてから10年以上が今現在のナターシャさんはどのような生活を送られているのでしょうか?
そこで今回は「ナターシャ今現在の顔画像や活動は?結婚も!【10歳少女誘拐事件】」と題して、10歳少女誘拐事件の被害者であるナターシャさんの今現在の顔画像や活動、そして結婚もされているのかについても迫ってみたいと思います。
それでは早速、本題へ入っていきましょう!
オーストラリア10歳少女誘拐事件とは?

まずは、ナターシャ・カンプシュさんが10歳で誘拐された「10歳少女誘拐事件」の内容から見ていきたいと思います。
10歳少女誘拐事件は、1998年3月2日にオーストラリアのウィーンでナターシャさんが誘拐されてから解放されるまで3,000日以上にも及んだ事件です。
ナターシャさんは登校中に、失業中だった通信技術者のウォルフガング・プリクロピル容疑者に拉致され、バンの中に押し込められてしまいます。
実は、ウォルフガング容疑者とは顔見知りだったそうです。
ウォルフガング容疑者は、自宅のガレージの下に掘った6平方メートルに満たない地下室に誘拐したナターシャさんを閉じ込めたのです。
当時10歳で幼いナターシャには「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝え、また両親は彼女のことを忘れたとも言い聞かせたと言います。
解放されるまで8年間は本当に地獄のような生活で、ウォルフガング容疑者はナターシャさんを殴ったり、食べ物もごく少量しか与えなかったそうです。
しかも何日も食べ物を渡さない日もあったり、ナターシャさんが思春期を迎えた後は強姦を繰り返すような辛い日々を送っていました。
それでも、ナターシャさんは叫ぶことはなかったと語っています。
叫びたくても、衰弱しそうな体では叫ぶことができず、それでも無言で叫んでいたそうです。
想像ができないくらいの長くて苦しい日々を送っていたのがひしひし伝わってきますよね。
そして、2006年の夏、ウォルフガング容疑者は携帯電話で、ナターシャさんを誘拐した時に使用した白いバンを売却する話をしていました。
その隙をついてナターシャさんは逃げ出し、3,000日以上にも及ぶ長い監禁から解放することができました。
無事に保護された時、ナターシャさんは18歳でありながら体重は42キロで、目のまわりの隈や頬は落ち窪んで無残にやつれていたとのことです。
その状態で逃げ出すのはかなり大変だったと思いますが、当然ながらその時は必死だったのでしょう。
ウォルフガング容疑者については、ナターシャさんが保護された数時間後に線路に飛び込んで自ら命を落したとのことです。
ナターシャ今現在の顔画像や活動は?結婚も!

解放されてから10年以上が経過していますが、ナターシャさんは現在どのような生活を送られているのでしょうか?
事件以来、ナターシャさんは長期にわたる監禁の影響で不安定な精神を抱えていました。
しかし、それでも社会生活に適応しようと努力を続け、2010年に22歳で大学を卒業しています。
同年には、幽閉の日々を克明につづった手記『3,096 Days』を出版し、また映画化も公開され、2011年には自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設しています。
そして、ナターシャさんの顔画像がこちらです。

出典:http://www.akb48matomemory.com/archives/1017940862.html
保護された時の体重は42キロで、頬が落ち窪んでいたようですが、現在は頬もふっくらとして健康的になっているようです。
そして、ナターシャさんが結婚されているかどうかまでは分かりませんでしたが、現在は30歳なので年齢的に考えれば結婚されて幸せな過程を築いているかもしれませんね。
まとめ
今回は「ナターシャ今現在の顔画像や活動は?結婚も!【10歳少女誘拐事件】」と題して、10歳少女誘拐事件の被害者であるナターシャさんの今現在の顔画像や活動、そして結婚もされているのかについて迫って調査していきました。
8年間も地下で監禁なんて想像もできないほど怖くて辛かったと思うので、本当に無事に保護されて良かったなと心から強く思います。
現在も精神的に不安定な部分が残っているかもしれませんが、これから幸せな人生を送って行って欲しいです。
それでは今回はこれで以上になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
MINATO
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